論文名 |
同人センサス技法 | 筆 者 |
東村光 | 秋葉原大学萌学部准教授 |
Title |
Coterie census | Auther |
Hikari Higashimura | Associate Professor. /The University of Akihabara |
副 題 |
同人形態の客観的分類方法の提示 | |||
Subtitle |
||||
初 出 |
萌集C74号 | 2-11項 | 2008年8月17日 | コミックマーケット74新刊 |
Source |
Journal of MOE archtechture No.C74 | pp.2-11. | AUG 17/ 2008 | ComicMarkets 74 |
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目 次
V.サークル等分類関係
W 同人センサスの効果
農林水産省における農家等分類関係に範を取り、同人活動の規模を基準にサークルを以下の階級に区分する。この区分は、客観的な数値的指標を元に為されるものであり、また現実に発生する様々な形態の同人活動を最大限に許容し、包括しうる形態として考えられている。また定義中に出てくる概念について、より厳密な定義を行うことで同人という個人の裁量に任されている割合が極めて高い世界における理解の共有を促進することを狙いとしている。
年間発行部数が 1 部以上または同人制作物頒布が過去 1 回以上あるサークル [01]
これは同人活動の経験の有無を定義している。ここで注意したい点として、年間発行部数は製本部数であり、頒布部数ではない点がある。実際の頒布は需要の問題やタイミングの問題もあり、名作といえども売れるとは限らない。 300 部を発行しながら実際に頒布できた数が一桁にとどまると言うこともコミケットの場では珍しくはない。ここで重視されることは、実際にどの程度の頒布を達成したのかという点ではなく、同人活動に携わる意志の有無である。
同人制作物頒布は、同人イベントへのサークル参加を指し、活動が休眠中であるか否かの判定基準として、直近1年という期間の制限を加えることで、実態としての同人活動の有無も合わせて問うものである。なお同人イベントへのサークル参加に代わって、同人誌取扱店への委託 [02]のみのものも含まれ、形態を問わず同人制作物を頒布できる状態は総て同人制作物頒布の域内とする。頒布形態を問わず直接の関係のない第三者が、同人制作物を取得できるチャンスが生じることを以って、同人制作物頒布として認定するのである。なお、1種類の同人制作物については、複数の頒布方法をまとめて1回の参加と計上される。なお、頒布とは不特定多数を対象とし、自らの同人制作物を販売もしくは配布する行為と定義する。
年間発行部数とは、同人制作物として頒布可能な状態に置かれた総数を指し、同人イベント、同人誌取扱店への委託(ダウンロード販売、通信販売を含む)、個人通販として売り切れるまで販売することの出来るものも、年間発行部数に計上するものとする。但し製本された部数のうち、販売・頒布を目的としないもの(記念本として、サークル構成員のみに限定して配布されたもの等)は、年間発行部数から差し引くものとする。これは身内のみに配られる制作物を以て同人活動とは認定され得ないと言うことを示している。例えば学校 [03]における卒業アルバムの制作に携わったことを以て、それが同人活動であるという考え方は支持されない。あくまでも卒業アルバムは、卒業生及びその関係者に限定して頒布されるものであり、同人活動とはまた異なる位置づけにある。同人制作物は、ある程度の選別は為されるにしろ、理念の上では万人が手に取りうる可能性を有するものであり、自らの表現を具体化した媒体として、その入手を恣意的に限定するべきではないという考え方に立つ。この為、年間発行部数では頒布可能な状態を重視し、その実績を以て同人活動についての認定を行う。
年間発行部数が 30 部以上または同人制作物頒布が一定期間に複数回あるサークル
同人作家として認定されうる為の必要な条件として、最低限達成すべき下限の設定を行ったのが、この定義である。ここで設定した年間発行部数は製作部数であり、実売部数ではない。この下限を設定した意図は、規模の大小による認定尺度を定めることではなく、同人活動の継続性の見極めにある。
同人作家として認められる為には、第一に同人活動における一定の実績が求められる。この実績に相当する部分が同人制作物の頒布を複数回行った経験である。上記の定義では、一定期間という文言について具体的な定めを行っていない。それは時間上や経済上の理由により、つねに同人イベントにサークル参加できるとは限らない為である。しかし直ぐに活動することは出来ないにしろ、過去に同人活動を行った実績があり、さらに将来的にも続けたいという継続の意志を持つ者は同人作家として認められて然るべきである。
この同人作家としての認定においては、継続した活動が重視される。例えば過去に1度に限り、合同本に寄稿を行っただけの者を同人作家として認定することは妥当であろうか? 少なくともこの例では同人作家であるとの賛成は得難いであろう。ただの同人活動者と同人作家の間には、境界が存在することは明らかであるが、その境界線を明確に描き出すことは非常に難しい。それは同人作家たる為の要件が従来は厳密に定義されていなかったが為であり、曖昧な基準によって認定されていたのである。同人センサスは実績 [04]という客観的に現れる指標を用いることで、アイディンティティや周囲の承認によって確立される同人作家たる為の要件を明確に設定しうるのである。
なお同人作家としての認定の基準を、オフセット本の発行などの制作物の形態に求めるべきという考え方も存在する。しかしコピー本と言えども、毎回 100 部以上を継続して2〜3年に渡り頒布する事例を考える場合、それを同人作家ではないと否定する根拠にもまた欠けるのである。筆者は、同人作家たる要件は発行物の様式よりも、現実にその人物が同人に対しどのように接しているのかという態度を重視し、同人作家であるの認定を行うべきであると考える。ここで態度を類推する為の手段として過去の実績を用いるのであり、この実績主義は同人センサスの基本的なコンセプトでもある。
次に同人作家の類型について、その収入に着目した検討を行う。近年の同人の多様性の象徴として、専業同人(プロ同人)と呼ばれる形態が定着しつつある。これは本来は趣味であった同人活動を生業とし、その収益を以て生活を維持するスタイルが顕著に見られるようになったことで、大きな関心が払われるようになった部分である。この専業同人の台頭は、同人活動は趣味であるとする従来の概念の変化を引き起こした。
同人所得が主(生活所得の 50% 以上が同人所得)で、1年間で 60 日以上同人制作活動に従事している 65 歳未満の者
主業同人とは、同人活動が主たる収入の源泉となっている者を指す。この同人所得とは、自身が携わった同人制作物の頒布より生じた収益を指しており、頒布によって得られる収入から自分自身の原稿料に相当する分を除いた諸経費を差し引いた純益として残る額のことを言う。また 60 日以上の同人生活動とは原稿の執筆及び取材なども含み、単純に同人イベントへの参加日数で 60 日という期間が要求されている訳ではない。しかしこれは1日を同人制作活動に費やす日として 60 日という期間が要求されている。例えば終業後に毎日原稿の執筆を行ったとしても、 60 日以上同人制作活動に従事したとは見なされないのである。この 60 日という数字の根拠は、法定休日に由来する。我が国の労働基準法において休日は1週に1日以上与えるもの [05]と定められている。この定めに基づくと年間の休日数は最低でも 53 日は確保されることとなる。法定休日の総数に1週間を加えた数字として 60 日という日数が算出されている。また主業同人として 60 日以上の同人制作活動を行うことは、法律の最低基準を満たす労働環境に身を置くことと相反するものである。
現在においては週休二日制の導入により年間 60 日以上を同人制作活動に充てることは不可能ではないが、ここで 60 日という数字が設定されている意図は、同人活動よりも優先されるべき定職を持たない者が主業同人として認定される点にある。なお学生のうち、長期休暇を活用し仕送りなどの収入よりも同人活動から得られる収入が多い場合は、この主業同人に含まれる。
65 歳という年齢による区分の根拠は生産労働年齢の上限及び将来の年金支給開始年齢に由来する。つまり働かなくともニートと呼ばれない年齢である。
同人外所得が主で、1年間で 60 日以上同人制作活動に従事している 65 歳未満の者
これは、社会人と比べ時間的余裕のある学生や被扶養者を念頭に置いている。ここで指す同人外所得とは、もちろん勤労所得も含まれるが、準主業同人では、仕送りなどの勤労に拠らない生計を持つ者を想定している。これは同人活動を日常の主としながらも、その収益はあくまでも趣味や副業の域を出ない状態を定義するものであり、同人収益に生活を依存していないという意味では、本来あるべき同人の姿に近いとも言える。
1 年間に 60 日以上同人製作活動に従事していない 65 歳未満の者 (主業同人及び準主業同人以外の者)
現在最も一般的に見られる趣味として同人活動を行う者である。これは単純に主業同人及び準主業同人以外の同人作家を指すものであり、同人外所得を生計の中心として他の職業もしくは学業に従事しながら同人活動を行う者のことである。
同人活動による収入及び同人活動に従事する期間を指標として、主に同人作家個人について分類を行った。次に同人サークルの観点に着目した分類を提案する。これは同人制作の担い手である同人作家と同人制作物を実際に頒布するサークルは、事実上同一のものであることが大半ではあるが、現在の同人活動を捉える最小単位はまだ作家ではなくサークルであるという現状を鑑み、ほぼ同様の内容の定義付けをサークルに対しても行う必要性が認められる為である。
サークルの中に兼業従事者が1人もいないサークル
専業同人の特徴は、同人活動が生活の中心となっている点にある。いわゆる自営業としての同人作家のあり方を定義するものである。主業同人と異なり、厳密には同人所得以外の一切の副収入が認められないのが狭義における専業同人であるが、実際には同人活動以外の定職としての収入源を持たないサークルが専業同人にカテゴライズされることとなる。これは、サークルにおける中核たる作家が個人事業主である同人サークルを想定する。所謂プロ同人と呼ばれるサークルはこの分野にカテゴライズされる。
なお、ここでサークルを構成する人員の範囲について定義を行うと、当日売り子や列整理などの補助的な役割でサークルに参加する者は、専業同人サークルに入っているとは認定され得ない。あくまでも同人制作活動に従事するもののみにより、サークルが構成されているというのが、この分類における基本的な考え方であり、サークル運営における組織のあり方とはまた切り離されている。また同人制作活動の中でも、コピー本の作成手伝いや作画アシスタントなどの作業のみに従事する場合も補助的な役割として捉えられる。事実上、サークルの範疇に含まれるのは、漫画であれば原作者と執筆者の二者のみに限定されるのである。この定義における複数の人員によって構成されるサークルの具体例としては、ゲームを作るサークルを想定すると、より理解が容易であろう。
基本的には、同人誌とは合同誌を除いて個人サークルであると捉えた方がより適切である。複数人により構成されるサークルは事実上の合同サークルとして考えることで理解がより容易になるだろう。類型上のサークルの捉え方と組織上のサークルの捉え方のギャップが存在することを念頭に置くことが必要である。
サークルの中に兼業従事者が1人以上おり、かつ同人所得の方が兼業所得よりも多いサークル
これは定職を持ちながらも、同人所得の方が多い同人サークルを指す。準主業同人作家に相当するものである。しかし準主業同人作家においては、単純に所得の割合のみによって区分されるものであるが、兼業同人においては、所得よりも職業などの同人作家の身分が重視される。これはプロ同人との区別を行うことを目的とするものであり、定職に就くなどの事由によりプロ同人としての要件を満たしていないものは兼業同人サークルに含まれることとなる。また学生も兼業同人サークルに含まれる。ここで指す学生とは、各種大学校及び専修学校を含めた教育機関に在籍する者を含む。
サークルの中に兼業従事者が1人以上おり、かつ兼業所得の方が同人所得よりも多いサークル
副業的同人に相当するものであり、同人サークルの大部分を占めるものである。近年ではパソコン・インターネットの発達により、大手に近い中堅サークルが増加しつつあるのと同時に、プリンターなどを用いることで、コピー本もより容易に制作する環境もまた確立した。この大手とピコ手 [07]への二極構造化が進展しやすい環境下において、大部分のサークルはこの区分にカテゴライズされ、一握りに過ぎない専業同人や第1種兼業同人サークルが軒並み大手と見なされる中で、本当の弱小サークルから中堅サークルや一部の大手を含む多様な集団として位置づけられている。
年間発行部数が 2 部未満かつ同人制作物頒布を行わないサークル
頒布を目的としない同人活動を行う者や同人活動サークルとしての任意団体を結成するも、実際の活動に至らないサークルなどが含まれる。同人サークルとしての活動の実態がないものである。本稿にて提案を行っている区分は実績主義に基づいて行われている為、当然のこととして新たに同人活動を行うものについて受け入れるべき区分を別に設ける必要がある。この部分は過渡的なサークルを、その主要な範囲とするものであると同時に、実験的な同人活動に参入を意図するサークルなどをフォローする者でもある。
年間発行部数が 30 部以上または同人制作物頒布が過去 1 回以上の同人活動を営むサークルに属さない同人作家
ここは、例外として同人作家でありながらサークルとしての活動を行わない者についての定義を行う。主にゲスト原稿の提供や、合同誌への参加という形態で、積極的にサークルのメンバーとして携わらない形での同人活動を指すものである。
委託を受けて同人活動を行うサークル
主に同人イベントの開催主体としてのサークルを想定する。同人活動とは同人グッズを頒布するだけはなく、頒布する機会の提供もまた含まれる。また同人音楽ライブイベントも頻繁に催されるようになり、これもまた同人イベントの一角に位置づける [08]ことが出来るだろう。 (本稿では議論を行わなかったが、コスプレイベントもまた同人イベントという範疇では、同一の括りと目される)
同人を支える活動のあり方として、頒布そのものを目的としている訳ではないが、同人活動の範囲には含まれてくるものであり、このような同人イベンターへの着目を無くして同人の総てを理解したとは言い難いことから、この類型についての定義を行うものである。しかし同人センサスは、同人頒布を行う立場についての調査を前提として設計されたものであり、同人イベンター的存在に対しては、また異なる別の指標を用いることが必要となってくるだろう。
同人活動とは、趣味における各種表現活動と定義されるが、職業として表現活動を行う者であっても同人活動を行っている者が存在する。特に萌産業の主要な部分を占めるソフトハウスに所属するライターや原画家、もしくはライトノベル系作家や商業漫画家が同人活動を行う事例における分類について指針の提示を行う。
判断の指針として制作されたもの頒布形態によって、まず商業作品として作られたものであるか、同人制作物であるかの判断を行える。同人制作物であれば同人専門書店などにおいて同人作品として流通するのであり、商業作品であれば、取次などを通じて一般書店に流通するようになる。その内容が同人からの移植 [09]であったとしても、商業ルートで頒布されたのであれば、それは同人制作物ではない。
同人作家としての区分 [10]では、同人所得と同人外所得の収入の割合及び同人制作に従事する期間、そして過去の同人における頒布実績以外の要素は検討されないのである。一般的なサラリーマンであろうと、著名な作家であろうと同人作家としてのあり方においては考慮されるべき要素ではない。あくまでも同人作家としてのカテゴライズは、その人物が行う同人活動の範囲においてのみ判断されるのである。
なお、一般的な意味で、同人作家とは商業媒体における表現活動を行わない作家として理解されているが、本稿においては商業作家であり同時に同人作家として同人活動を行うということは想定される。
同人活動にプロが参入してはならないという慣例は形成されておらず、プロであったとしても、同人活動のルールに則った活動を行っているのであれば、同人作家としての領域が存在することを否定されないのである。
これらの類型は、規模に応じた同人界における序列の構築を目的とするものではない。客観的に同人サークルを区分することを通じて、同人界全体を把握するセンサスを実施する為のツールを提案しているに過ぎない。壁サークルと弱小サークルの価値は平等に扱われて然るべきであり、その規模が大きい方がより優位な存在であるということ対する根拠は見いだし得ない。しかしこれはあくまでもそのサークルの存在の意義に限定した話である。現実の待遇において、壁サークルと弱小サークルは必ずしも平等に扱われる訳ではない。ではこの差異が生じる所以について考えると、サークルの規模に応じて生じるであろう影響力に起因していると考えられる。
例えば壁サークルであれば集客力という名の強い影響力を持つことから、頒布を行う際に相応の措置を行わなければ、同人イベントそのものの円滑な進行を阻害してしまう危険性を孕んでいるだろう。また大手のサークルの参加によって、規模の小さなイベントの集客力に影響が出ると言うことも考えられる。これに対して弱小サークルの配置や扱いによってイベントそのものが混乱に陥ると言うことは、さほど深刻に想定される問題であるとは言えないのである。また規模の大きなサークルに対しては、着目の度合いも高く、ブログの記事が大きな波紋を呼ぶ [11]ことも少なくない。
こうしたサークルの規模に応じる扱いの差は実務上の観点からも許容される。しかし同人とはあくまでも個人が趣味で楽しむことが本来のあり方であり、商業との最大の差異は、個人の主導によって物事を作り上げる点にあると考えられる。大手であろうとピコ手であろうと、等しく同じ立ち位置にある個人によって作品が送り出されている点は同じである。コミックマーケットの理念に拠ると、参加者は全員平等であるとされている。様々なサークルが混然となり今日の同人界を構成していることを踏まえた上で、冷静に同人の現状を分析することが求められていると言えよう。
同人センサスの最大の効果は、予め公開された基準・概念に基づき調査を行うことでより客観的なデータを収集することが出来る点にある。同人に対する様々な分析は既に為されているが、それらの分析を議論たるものにする為には、まず基本的な概念の共有が必要であり、さらに議論の土台には客観的なデータが必要とされてくるのである。そのような場面において、同人センサスは大きな効果を生み出す可能性があるといえる。
同人センサスの問題としては、まず大規模調査の実施主体が存在しないという点がある。同人という誰も監督することが出来ない世界において、完全な調査を行うことは不可能である。コミックマーケット準備会といえども、他のオンリーイベントに対する権限は有しておらず、民間のシンクタンクなどにより行われている分析についても、その信憑性を巡る議論が交わされることがあることに見られるように、民間人による調査は必ずしも的を射たものになるとは限らず、ヲタクによる包括的な調査の実施が望まれるであろう。
同人という世界が、よく見通せない理由は大きく分けて2つある。第一には、無秩序とも言える拡大の結果、一元的な把握が出来ないまでの規模に達してしまった為に起こった見通しの悪さであり、第二には、同人という概念がとても抽象的かつ曖昧なものの総合体として存在している点にある。これらの解消の為には、同人という分野の境界を明確にし、また共通の客観的な認識を構築することが必要である。そして同人研究者が連携し合うことで、同人全体を包括しうるネットワークを実現することで、同人という無秩序な世界への“神の視点 [13]”の導入を図るべきであろう。その神の視点こそが同人センサスの実施によってもたらされる最大の効果であり、また同人という世界に対し、新たな発見を探ることでもあるのだ。
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